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2016-05-11

母の日の思い出

今日は、うっとおしい毎日でございます。


早く青空が見たいなぁ~と思うんですけど、明日は晴れるかなぁ~。。


この花は、皆が知っている 「母の日」カーネーションの花です。。


どうしてこの花が、「母の日」に送る風習が出来たのか。    この話長くなるなぁ~


1908年アメリカの少女(アンナ ジャ―ビス)が、自分の母の追悼に。


母が好きだった、白いカーネーションを、祭壇に飾り、其のあとこの花を、参列者に。


一本づつ配ったと言う、それが5月10日でした、これを5月の第2日曜日を。


「母の日」の始まりとされました、母が健在で有れば「赤」、故人に「白」。


DSC00106_20160511001305ca4.jpg


「母の日」の事を、騒ぎだしたのは私が小学生の頃だった? と記憶に。。


学校が終わり校門の出口で、「 おかあさんありがとう 」と書いた。


セルロイドで作ったカーネーションの造花を、手渡されました。  (セルロイド もう 死語ですね)??


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みんなは、嬉しそうに自分の胸に付けて、急いで帰ってゆきます。


家では、お母さんの胸に付ける事でしょうね、私には母はいません。


その貰った造花の花を、そっとカバンに入れて帰ります。


父と兄と私と弟の4人暮らしです、父は仕事からまだ帰ってはいません。


DSC00107_20160511001306641.jpg


私は昔はこの花が、あんまり好きな花では有りませんでした。


私は白いカーネーションなんです、父は過労で「結核」で入院4年間も。。


弟は、養子縁組で知らない人に、貰われて行きました、兄と、私は離れ離れで。


寮のある学校へ、これで一家離散です、私は中学1年生でした。


DSC00109_201605110013232e0.jpg


技術を身につけ、結婚し、長女が4歳の時に。。


「お母さん、ありがとう、大好きよ」と一本の、赤いカーネーションを渡してくれました。


私がお花を貰えるんだと、娘を抱きしめていました。 其の花は  赤かった。。。


父が1人で、兄と私を育ててくれた事は、本当にありがとうを言いたかった。


父の最後は、病院へ入院です、余命、後半年だと告げられた時。。


私は病院へ、赤いカーネーションと、白いカーネーションを一杯胸に抱えて。


父に、「ありがとう、お母さんの分まで苦労掛けて、ありがとう」と。。


二つの「ありがとう」を、初めて花と一緒に、告げる事が出来ました。


父の目が、涙で光っていました、  「 ありがとう」を。。


父に告げた時の事を、今も目に浮かびます、母の日が来ると。


何時も、思い出すのが、このシーンなんです。。


娘は孫ちゃんから、赤いカーネーションを貰っていることでしょう。


今はみんなが、幸せになる事を、何時も祈っている私です。


後何回、母の日を迎えるのでしょうね。   頑張ろう~と。。。


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comment

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カーネーション

病院で、お父さんに渡された、赤と白のカーネーション
お父さんの目に涙・・・あかん、こちらまでウルウルしてしまいます。
嬉しかっただろう、お父さん。元気になって、もっと長生きして子供達
を見つめていたかったに違いありませんね。

カ―ネ―ション

sadaoさん。。。

ありがとうございます。

小さな子供とお花の好きなお父さんでした。
68歳で他界しました、もう少し長生きしていてほしかった。

母親役と父親の二役に本当に「ありがとう」でした。
優しくて、強い父でしたね、親ってありがたいですね。


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河内乃 小夏

Author:河内乃 小夏

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